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国連のジェノサイド認定という茶番

この記事はAIの支援を受けて作成しています。

戦争論/多木 浩二|岩波新書 - 岩波書店 またまたこの本見てジェノサイド条約について調べてたら、思ったより闇が深かったのでメモっておく。時系列ガン無視で、気になった事例を並べただけの雑記。

一度書いて、後から自分で「これ言い切りすぎでは」と思った箇所がいくつかあったので、事実確認して直しながら書いてる。

そもそもの定義がすでに狭い

1948年のジェノサイド条約第2条が保護するのは「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団」のみである。「政治的集団」は最終的な条文には入っていない。

起草過程では、政治的集団も保護対象に含める案が一時存在したが、最終的に削除された。これを主導したのはソ連だけではない。アルゼンチン、ブラジル、ドミニカ共和国、イラン、南アフリカなども同調していて、複数国が連合して除外を支持した構図らしい(出典: ジェノサイド条約 - Wikipedia)。

認識ミス: 当初「最初の草案には社会・政治集団も入ってた」「ソ連が強く主張して単独で除外させた」と書いていたが、これは2点とも修正が必要だった。まず「社会的集団」まで最初の草案に含まれていたと断定できるほどの一次資料は確認できていない(起草過程には複数段階の草案があり対象集団のリストも異なるため、確実に言えるのは「政治的集団」まで)。またソ連は除外派の主要国の一つではあるが、単独犯のように書くのは単純化しすぎで、複数国が連合して除外を主張した。反対論拠も「国内の反乱鎮圧を恐れて」の一点張りではなく、「政治集団は加入・離脱可能で恒常的な集団ではない」「国内政治への国際的干渉につながる」「ジェノサイド概念の過度な拡張になる」など複数あった。

定義そのものが、各国の政治的利害を含む交渉の妥協の産物だということになる。「大国の自己防衛のため」と一言で片づけられるほど単純でもなく、大国以外の国も対象集団の限定を支持していた。それでも、対象集団をここまで狭く切った条文が、後々の認定を難しくしていく構図自体は変わらない。

カンボジア:170〜200万人殺して、ジェノサイド認定は一部だけ

クメール・ルージュ政権(1975-79)、犠牲者は100万〜200万人規模。都市住民の強制移住、強制労働、飢餓に加え、政治的・社会的カテゴリーに基づく粛清が行われた(出典: 在カンボジア日本国大使館)。

2018年、ECCC(カンボジア特別法廷)はチャム族・ベトナム系という「民族」集団への迫害についてジェノサイドで有罪認定した。それ以外の政治的迫害・強制移住などについては、「人道に対する罪」として別途認定されている(出典: gooddoマガジン)。

ここで最初「大半は政治的集団への迫害だからジェノサイドにならなかった」と単純化して書いたが、これは法的にはもう少し複雑だった。

認識ミス: ジェノサイドが成立するには、①保護対象となる集団への行為であること、②条約所定の行為があること、に加えて③その集団を全部または一部破壊するという特別の意図(genocidal intent)が立証されること、の3つが必要になる。つまり「政治集団だったからジェノサイドにならない」の一言では終わらない。強制労働や飢餓による大量死それ自体が自動的にジェノサイドになるわけでもない。裁判所は170万人の虐殺を「民族だからジェノサイド/政治だから違う」と単純に仕分けしたわけではなく、個別の犯罪行為・被害集団・加害者の意図をそれぞれ審理した結果として、標的となった集団と意図によって法的分類が分かれた、というのが正確なところ。また「人道に対する罪止まり」という書き方もしていたが、これも訂正が必要。人道に対する罪はジェノサイドより軽い犯罪類型というわけではなく、ジェノサイドには単に特殊な構成要件があるというだけの話。

元国連大使サマンサ・パワーは、著書「集団人間破壊の時代」の中で、カンボジアの件がジェノサイド条約の要件に合致するか検討した米政府高官は一人もいなかった、という趣旨のことを述べている(出典: INPS Japan)。

補足: このサマンサ・パワーの発言は、二次資料(INPS Japanの記事)経由でしか確認できておらず、著書本文・該当ページを直接あたって一次確認はできていない。強い引用として扱うより、「そう紹介されている」くらいの温度感で読んでほしい。

崩壊後も国連の議席を持ち続けたクメール・ルージュ

これが一番えげつないと思った部分。

1979年1月にベトナム軍がプノンペンを制圧してポル・ポト政権は崩壊、タイ国境へ逃げた。それでも崩壊後の亡命政府「民主カンプチア政府」は国連の議席を保持し続ける。1982年にはクメール・ルージュ、シハヌーク派、ソン・サン派の反ベトナム3派が連合し、「民主カンプチア連合政府(CGDK)」としてカンボジアの国連代表権を維持した(出典: 民主カンプチア - Wikipedia)。

認識ミス: 「国連での代表は実質クメール・ルージュ官僚が務めていた」と書いていたが、これは裏付けが取れる資料を見つけられなかったので削除した。1982年以降は形式上クメール・ルージュ単独ではなく、シハヌークを首班、キュー・サムファンを副大統領、ソン・サンを首相とする3派連合政府(CGDK)であり、クメール・ルージュが主要構成勢力の一つとして含まれていた、というのが確認できる範囲での正確な書き方。

ワシントン・ポスト紙は1980年9月、この状況を評して「米国がポル・ポト政権の国連議席維持を支援」という趣旨の見出しを掲げている(出典: Washington Post archive)。背景は完全に冷戦構造で、ベトナム=ソ連陣営の傀儡政権(ヘン・サムリン政権)を認めたくない米・中国・ASEANが結託して、クメール・ルージュを含む反ベトナム連合政府を「カンボジアの正統代表」として国連に座らせ続けたわけだ。

この代表権がいつまで続いたかについても、当初のメモは精度が低かった。

補足: 当初「議席保持は1993年のUNTAC制憲選挙まで継続」としていたが、調べ直すとこれは不正確だった。CGDKは1982年から少なくとも1980年代を通じてカンボジアの国連代表権を維持し、1990年9月にシハヌークを議長とする「カンボジア最高国民評議会(SNC)」の設置が決まり、1991年10月23日の「カンボジア紛争の包括的な政治解決に関する協定」(パリ和平協定)によって、SNCがカンボジアを対外的に代表する体制へ正式に移行した。1993年はその後の制憲議会選挙・新政権樹立の年であって、国連代表権そのものの移行はそれより前の1990〜91年の和平プロセスで決着している(出典: パリ協定(カンボジア和平) - Wikipediaアジア経済研究所)。

大量虐殺した勢力を主要構成要素として含む政府が、崩壊後10年近く国際社会の「正式な代表」として扱われ続けた。これは条約の定義の穴という話を超えて、加害勢力そのものを冷戦の駒として利用した話だ。

ソ連、天安門、原爆:ジェノサイドとして扱うのが難しい事例たち

ここから先は自分の頭の整理。最初「法的に裁けない虐殺たち」という見出しにしていたが、これは強すぎた。ジェノサイドとして扱うことに法的な障害がある、というのが正確なところで、他の犯罪類型(人道に対する罪、戦争犯罪など)での訴追可能性まで否定する話ではない。

  • ソ連の大粛清:中心を占める政治的・階級的理由での粛清は、条約の政治集団除外により原則としてジェノサイドの対象外になる。ただし大粛清の中にはNKVDによる「ポーランド作戦」のような、民族を標的にした「民族作戦」も含まれており、これについては研究者や機関によってジェノサイドと評価されることがある(出典: Institute of National Remembrance)。ひとくくりに「大粛清=非該当」と言い切るのは雑だった。
  • ホロドモール(1932-33年のウクライナ飢饉):当初「政治的・階級的理由での殺害で条約定義に非該当」と書いたが、これは誤りに近い。ホロドモールがジェノサイドかどうかは、「ウクライナ人という国民的・民族的集団を破壊する意図があったか」がまさに争点になっていて、今も学説上の議論が続いている(出典: ホロドモール - Wikipedia)。欧州議会やウクライナ議会など複数の議会がジェノサイドと認定する決議を採択している一方、これは政治的な認定であって国際刑事裁判所が確定判断を下したわけではない。「農民という社会階級への攻撃だったのか、ウクライナ人という国民集団を破壊する政策だったのか」で評価が割れている、というのが実態に近い。
  • 天安門事件(1989):対象は「民主化要求者」という政治的立場で、通常のジェノサイド条約上の保護集団には該当しにくい。ただし、これより大きな障害は別にある。ICC(国際刑事裁判所)はローマ規程第11条により、2002年7月の規程発効より前の犯罪を扱う権限がない。天安門事件は1989年なので、中国の拒否権うんぬん以前に、そもそもICCの時間的管轄の外にある。加えて中国はローマ規程の締約国でもない。安保理拒否権の問題は、2002年以降に中国が関与する事案を考える際には大きな障壁になるが、天安門事件そのものに関しては「時間的管轄外」の方が本質的な壁だった。

認識ミス: 天安門事件について、当初は「安保理拒否権があるからICC付託が政治的に不可能」という書き方だけをしていたが、これは筋が違った。一番の壁は拒否権ではなくローマ規程の不遡及原則(時間的管轄)であり、しかも中国はそもそもICC非締約国。拒否権の話は成立しない前提の上に乗っていた。

原爆投下について

広島・長崎への原爆投下(1945年)は、公式には「戦争終結目的」であり「民族殲滅意図」ではないという立場が取れる。加えてジェノサイド条約の成立(1948年)より投下の方が先なので、条約を遡及適用して個人を処罰するという話には重大な問題がある。

ただし「1948年より前だから当時の国際法上まったく違法性を問えない」わけではない。原爆投下については、ジェノサイドとは別に、民間人への無差別攻撃や国際人道法の観点から今も議論が続いている(出典: ICRC 国際人道法データベース)。

ジェノサイドとして評価するには「日本人という国民的集団を、その集団として全部または一部破壊する意図」という特殊な意図の立証が必要で、これは「戦争終結」「本土決戦回避」「対ソ牽制」といった通常の歴史的な説明とは別の論点になる。

補足: 原爆投下をジェノサイドの構造に並べるのは、国際法上かなり異論の多い立場だということは書いておきたい。ジェノサイドの意図要件を原爆投下が満たすかどうかは、歴史家・国際法学者の間でも一致していない。ここは自分の中の「構造的な似た者探し」の視点として書いていて、確定した法的評価ではない。

結論というか感想

「ジェノサイドと認定されない」=「虐殺の規模や道徳的重大性が低い」ではない。ジェノサイドは、被害規模ではなく、保護対象集団とその集団を破壊する特殊な意図によって定義された、意図的に狭い法律上の犯罪類型だからだ。mass killingとgenocideはイコールではない。100万人殺してもジェノサイドの構成要件を満たさない場合があるし、逆に死者数がそれよりずっと少なくても意図が立証できればジェノサイドになり得る。条約自体がそういう設計になっている。

その上で、境界線自体が1948年の政治交渉によって形成されたという事実は変わらない。定義は各国の政治的利害を含む妥協の産物だし、拒否権保有国自身やその強力な同盟国が関係する事案では、安保理を通じた強制執行やICC付託が政治的に著しく困難になる(ICCには締約国領域・締約国国民による犯罪など安保理を経由しないルートもあるので、「拒否権がある限りほぼ裁けない」は言い過ぎだった)。

カンボジアの件は、定義の歪みを超えて、加害勢力を主要構成要素として含む政府をそのまま国連代表として扱い続けた事例でもある。国連、とりわけ安保理制度には大国間政治を制度内に組み込んだ側面があり、重大犯罪への対応も国際政治の影響を強く受ける、という評価は妥当だと思う。「理念より大国のパワーバランスに従属した制度」とまで断定するのは自分の政治学的な評価であって、確定した事実命題ではない、というのは留保しておきたい。

とはいえ「国際法は無意味」という話でもない。スレブレニツァやルワンダのように、政治的にすり合わせが取れた事例では実際にジェノサイド認定・有罪判決まで到達している。制度としての実効性はゼロではなく、「大国が絡む、または政治的集団が対象になった瞬間に機能しづらくなる」という穴が構造的にある、というのが今の自分の理解。

批判の軸としては、「なぜこんな大虐殺がジェノサイドじゃないんだ」ではなく、「ジェノサイドという犯罪類型は、一般語としての“大量虐殺”よりも意図的に狭く設計されていて、その境界線自体が1948年の政治交渉によって形作られた」くらいに置いた方が、歴史的にも法的にも筋が通る気がする。

本音

だっりぃー・・・

やっぱ政治のコアのコアみたいな話はすべきじゃない。マジで死ぬほどだるい。

AI使ってもレビューだるすぎて死にそうになった。