ヘレニズム文明①―アレクサンドロスの死からクレオパトラまで(〜P14)
Contents
この記事はAIの支援を受けて作成しています。
ヘレニズム文明 読書ノート1(〜P14)
読んでる。
目的
なにか一つヘレニズム文明について会話で使えるようになりたい。
読む前の疑問
- ヘレニズム文明って何? 何が独創的なのか(後ろに書いてあるらしい)
- プトレマイオス朝は何年?
- 地中海ってどこ? エジプトは接してる?
- エジプトとギリシャ、どっちの話? 4大文明的なやつ?
- ストア哲学・プラトン哲学の関係。プラトン哲学とエジプトのつながり
- 病死してなかったら、アレクサンドロスは次にどこへ行った?
- アレクサンドロスは神扱いなのにバシレウス(王)なのはなぜ?
- なぜインドで引き返したのか
- 王の神格化は、エジプトのファラオの伝統とつながってる?
本で確認済み
- ヘレニズム = アレクサンドロス死去からローマ占領まで
- ストラテゴス = 軍事司令官(ストラテジーの語源っぽい)
- サトラペス = 州総督
- ストラテゴス→プロコンスル: 仕組みも職権乱用も継承された
検索で確認済み
クレオパトラ周辺
- クレパトはカエサルの力を借りて復位し、のちアントニウスと結婚。アントニウスの敗死とともに自殺(通説は毒蛇)
- 前31年アクティウムの海戦でオクタンがアントニウス・クレパト連合軍を破り、翌年アレクサンドリアを征服してプトレマイオス朝が滅亡
- ポンペイウスはカエサルとの戦いに敗れ、エジプトでプトレマイオス13世の配下に謀殺された。クレパトの相手ではない
- 自分の仮説の訂正: クレパトが取り入った2人はカエサル→アントニウス。オクタンは最後まで敵
アレクサンドロス
- 前323年にバビロンで32歳で病死。熱病で、宴で大酒を飲んだあとに発熱。死因は諸説あり不明
- インダス流域まで進み、遠征に飽きた将兵が東進に反対して引き返した
- アリストテレスが家庭教師
- 「ゼウス・アモンの子」の称号を名乗り、後継のプトレマイオス朝も引き継いだ(ソースはゲームサイトで弱め)
哲学
- プラトンがアカデメイアを前387年ごろ創設(西洋最古級の学園)。アリストテレスはそこで約20年学び、イデア論を批判してリュケイオンを創設
- ストア派はキプロスのゼノンが前3世紀初頭に創始。アテネのストア・ポイキレで講義したのが名前の由来。理想はアパテイア(禁欲と克己)
- ザビーネさんのセリフはストアの理想にかなり近い
用語・地理
- 小アジア(アナトリア) = 黒海・エーゲ海・地中海にはさまれた半島。ほぼ今のトルコのアジア側
- バシレウス = ギリシャ語で「王」。後継者たちは前306年ごろから相次いで王を名乗った
- ヘレニズム時代 = 前323年〜前30年の約300年間。始まりを前334年や前338年に置く資料もある
- プロコンスル = ローマの属州総督。徴税請負人を通じて搾取し、莫大な利益を得た。出自は資料により揺れる(コンスル級/法務官出身)
未確定(要答え合わせ)
- ヒュパシス川という川の名前
- 次はアラビア遠征、カルタゴ構想という話
- シワ・オアシスでアモンの子と認められた件
- 毒殺説
- アレクサンドリアでプラトン系が栄えたこと。プロティノス(205ごろ〜270ごろ、新プラトン派の創始者)はエジプト生まれとも言われ、アンモニオスの弟子。アレクサンドリアの地名は資料に出ず。時代もヘレニズム期のあとの3世紀
- アリストテレスの「イデアは物の中にある」という具体的な主張
- サトラペス = ペルシャの州総督(本の記述を優先)
発見メモ
- ストラテゴス → ストラテジー(戦略)につながる
- 誤字ネタ: 制服/征服、ポンポンペインウス/ポンペイウス
- ソクラテス→プラトン→アリストテレス→アレクサンドロスの師弟ライン
Sources
- クレオパトラ - コトバンク
- 第2回三頭政治 - 世界史の窓
- ポンペイウスの最期 - 世界史の窓
- アレクサンドロス3世の死 - Weblio
- Death of Alexander the Great - COJS
- アレクサンドロスの大帝国 - 世界史の窓
- アリストテレス - 世界史の窓
- アカデメイア - 世界史の窓
- ストア学派 - コトバンク
- 小アジア/アナトリア - 世界史の窓
- ヘレニズム - コトバンク
- ヘレニズム三国 - 世界史の窓
- 柴田論文(後継者たちの称王)
- 総督(ローマ) - 世界史の窓
- 属州 - 世界史の窓
- プロティノス - コトバンク
- Human-Animal Transformation(アモンの子)